私の恩人、山中正竹さん。
今年1月、斎藤雅樹、工藤公康という大投手と共に山中さんの野球殿堂入りが決まる
という心から嬉しいニュースが届いた。
法政大学時代は投手として前人未到の通算48勝。あの江川卓氏が1歩及ばずの47勝。
卒業後はプロ入りせず、住友金属で活躍し常にアマチュア野球界のリーダーとして
バルセロナ五輪代表監督を務めるなど、日本の野球界への貢献は計り知れない。
そんなアマチュア野球界を代表する山中さんが、2003年まさかのプロ転向をする。
周囲の猛反対を押し切って、横浜ベイスターズに専務としてやってきた。
野球界のプロとアマは「断絶」の歴史だ。
ここではその是非はさておき、アマ代表の山中さんがプロの球団に来るということは
ベルリンの壁を越えてくるようなもの。当然プロ側の厳しい目線が予想された。
プロの世界では数々のご苦労があった。
そんな中、間近で多くの教えを頂けたことは私にとって幸運としか言いようがない。
悩んでいたあの頃、山中さんのサポートのおかげで頑張れた。この感謝を忘れることはない。
いつもそのお話から感じるのは、グローバルな視点とやさしいユーモア。
キューバの話もアメリカの話もそこで戦ってきたからこその説得力がある。
今でも数多くの有名選手が山中さんを慕うのは、その経験から滲み出る知性と品格から。
スポーツとインテリジェンスは絶対に切り離せないのだ。
68才の今でもジーンズが似合う山中さん。
相変わらずモテるんだろうなと思うとちょっぴりうらやましい。
増田元長