古来より私たち日本人は「間」を大切にしてきた。
「絶妙な間」が重宝され、趣をなくす「余計な間」は好まれない。
先日メジャーリーグで、大雨で試合が4時間中断し、再開が午前2時になったという
ニュースがあった。私たちには絶対に耐えられない「間」の長さだ。
日本のプロ野球では、新設されたコリジョンルールとやらが大きな問題となっている。
捕手が走者の進路を妨害したのではと「ビデオ判定」により、完全にアウトのタイミング
がサヨナラ勝ちになったケースがあった。本来サヨナラ勝ちは、その瞬間の歓喜にこそ
価値があるのに「ビデオ判定」のやたら長い「間」によりその興奮さえもお預けとなった。
そういえば、先日のゴルフのメジャー大会全米オープンで、優勝したダスティン・ジョン
ソンのルール上の問題をめぐり、一度は無罰と決定されたものが、その後ビデオを見た
競技委員の一言により覆り、優勝争い真っ只中の12番ホールで、本人に「ホールアウト
後に1打罰が付加される可能性がある」と知らせるUSGA前代未聞の大失態があった。
(この件に関しては、筆者は本当に怒っている!)
「ビデオ判定」の登場により、なんともいえない空気や間が存在しはじめたのは確かだ。
以前、スポーツマネジメントを専攻する大学院生たちに
「スポーツにおけるビデオ判定導入に賛成か?反対か?」と聞いたことがある。
すると、意見はほぼ半々に分かれた。
賛成派の理由は「正確なジャッジが出来るから」その通りだと思う。
そこで、賛成派の人たちにこう聞いてみた。
「ならば、審判をみんな精巧なロボットに替えてしまうってのはどう?」
すると、賛成派が皆一様に「それは嫌だ」という顔をした。このあたりが面白い。
増田元長