sport(スポーツ)の語源はdisport(ディスポート)
「遊び」「気晴らし」「はしゃぐ」という意味の言葉です。
port(港)に、切り離すという意味の接頭語disが付いて、
船が港から離れる解放感から「気晴らし」や「遊び」という意味を表わす言葉になりました。
このdisportからdiを取ってsportに転じたのです。
つまり、スポーツは元々「遊び」という意味なのですね。
ところが、日本のスポーツの一番の悲劇は、この「遊び」であるはずの「スポーツ」が
教育である「体育」と混同されてしまったところにあるのです。
「スポーツ」が伝来したのは明治初期。1878年、札幌農学校でクラーク博士が開いたものが
日本で最初のスポーツイベントと言われていますが、この全校スポーツ大会は当時「遊戯会」と
呼ばれました。はじめ、スポーツは語源通りに余暇の遊びとして日本に広められていったのです。
しかし、明治政府は富国強兵のため、兵士育成の手段として学校での「体育」を活用しました。
このあたりから本来「遊び」であるはずのスポーツが、兵士を育成するための「訓練」「教育」
として利用されるようになったのです。以来、日本ではスポーツをずっとしてきた人が
「体育会的な」という特殊な言い回しで呼ばれるようになったりしますが、
体育会的というとなにか怖いイメージが付きまとうのです。
時々「私はスポーツが少し苦手です」とか「スポーツは小さい頃からあまり好きでありません」
このようなことをおっしゃる方がいます。ちょっと待ってください。
「スポーツ」を本来の意味である「遊び」という言葉に置き換えてみましょう。
遊びが苦手な人っていますか?遊びが嫌いな人っているのでしょうか?
きっと、体育の授業や部活の影響なんですかね・・。
遊びだからこそ夢中になれて、真剣になれて、楽しいものなのです。
人から強制されたり、異様な上下関係があってり、上手い人だけが威張ることはおかしなこと。
ましてやそこに暴力が介入するなんて、まったく異次元なことなのです。
遊びだから、前向きなミーティングはあっても、非難されることはあってはなりません。
遊びだから、また次に機会が待ってるのです。
そして、真剣に楽しんでいる人たちを応援したり、信じることもスポーツの大切な要素なのです。
増田元長